2006年07月24日

いろいろありましてぇ

 ニュースは毎日、いろいろな情報を届けてくれますよねぇ。毎日毎日、たくさんのひとの手によって更新されてゆく、、それだけ世の中でいろいろな出来事が起こっているという証拠なのでしょうが、それだけにほんの少し前の出来事ですら忘れてしまう。

 うわぁ怖い、カジキマグロだよぉ。まただよぉ。これで今月3本目、、

 て、せっかく書いてもわからないんでしょうね、いいですよ、ふん。

 はい、せんせぇだよぉ、、

 以前「みよアンドゥ」の方で予告した内容は、せんせいのココロの中で風化してしまった影響もあり、無期延期と致します。もし「楽しみにしてたのに、くそやろー」ともんくのある方は、まず、ここまでの文章を読み返してみてください。そして、せんせいが何のマネをしているか考えてください。面白いと感じたひとだけは、もんくを言っても構いません(取り合いませんが)。くすりともこなかったひとは、もんくをいう権利ありません。そんなあなたは、わらいのセンスのかけらもない何処に行っても不人気極まりない超つまらない方でしょうから、おねがいですからブログをROMることに終始してください。いっしょうブログとかやろうなんて考えないでください。どうしてもやりたいのなら自由ですが、せんせいが許してもテン(小さな動物、ねこみたいなやつ)が許さないかも知れないので、前触れもなくxxが痛くなるかも知れないこと覚悟しておいてください。治療には必ず平○クリニックに行ってください。せんせいは関知しません。

 今回は、みなさんもすでにご存知のことと思いますが、スーパービッグニュースについて。

 「昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感・元宮内庁長官が発言メモ」
 http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060720AT1G1700819072006.html NIKKEI NET (07:00)

 こちら、日経新聞のスクープ!なのでしょうか。実はせんせい、この記事が新聞発表になる前に、○ちゃんねるのスレッドで記事内容を目にしていました。まだリンク元も付けられていないスレッド記事でしたが、20日の夜半にはすでに公開されていたようでした。

 新聞配達のひとなのか、新聞を印刷しているひとなのか、はたまた日○新聞の関係者なのか。まったくもってわかりませんが、○ちゃんねるもバカにしたものではありません。にゅーそくなどでは、工○員くさいひとオンパレードのようなスレッド乱立ではありますが、こんなスーパービッグな拾い物もあるようです。

 ともかく、これは超スーパービッグニュース!ですよ、奥さん。メモの内容については、テレビニュースでも新聞でも取り上げていたことと思いますので、詳しい説明は省きます。あんまよくわかんないし、新聞記事とか、どっかよその詳しいブログさんの方でおねがいします。

 こちら全文↓

 「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、

 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが

 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている

 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ」

 富田朝彦氏のメモより。原文まま。

 http://www.shikoku-np.co.jp/news/kyodonews.aspx?id=20060720000447
 靖国関連部分のメモ全文/「それが私の心だ」−四国新聞社

 ちょっと脱線しますけど、↑に四国新聞の記事見出し「それが私の心だ」ていうの、なんかオ○ム監督の言葉っぽく感じるのはせんせいだけでしょうか?いっつまいまいんど。なんかカッコよす。いっつあ○ニー。P○3買う予定なす。

 せんせいなりに要して言うと、「松○のやろー、まったく親の心子知らずなことしおってー。A級戦犯まで合祀するというのなら、もれ(天皇)は参拝なんてしないもんね。てか、もうしてないけどね。いっつまいまいんど☆」という感じになります。

 衝撃ビッグニュース!だということ、さらに声を大にして言いたいと思います。昭和天皇がどうして靖国神社に参拝しなくなったのかについては、今までいろいろな学説があったそうです。そんなの全く知りませんけど、このメモの信憑性が高く、真実が述べられているのだとすれば、昭和天皇が参拝を取りやめた理由とは「A級(戦犯)が合祀」されているから、という理由に確定することになる訳です。史実的にも辻褄が合っている、と確かてれびでやっていたと思います。これって超絶に大変なことだと思いません?マテ○ッティがジ○ンに人種差別的な発言をしたかどうかなんて、失礼ですが、はな○そです。それはそれでサッカー史に残るような出来事だったかもわかりませんが、こちらは歴史をひっくりかえすような出来事ですYOそう思いませんか?からさわぎですか?ああ、そうですか。では理由を述べましょう。

 靖国の問題は、たいていの取り上げられ方として、中○や韓○の反発があるから取りやめるべきだ、という話ばかりだったと思います。

 せんせい的には、そもそも日本人は総理大臣に参拝して欲しいのだろうか?という疑問を持っていました。世論調査での参拝すべき、すべきでないの話は、どうしても、東アジア外交を考慮してやめるべきだ、いや、そんなのに屈してはいけないこれは国内問題なのだ、という2分論にとどまっており、真に国内問題として議論されたことなどないのではないか?と思わせるくらいに貧相なものでした。

 日本人のひとりとして、せんせいは参拝に賛成なのか反対なのか、と問われると、よくわかんないからスルーします、としか答えられません。が、本当にどれだけのひとが内閣総理大臣に靖国神社に参拝して欲しいと思っているか、ということについては甚だ疑問に感じざるを得ない。先ほども書きましたが、外圧のかかる今の状況を考慮して、どちらの選択が得になるのか、よりベターなのかという分析論的なレベルに終始するのみで、何ゆえに!総理の参拝を望むのか、という個々人の主観的な見解論争には発展しないこと、問題の本質から逸れてぐだぐだ言っているようにしか聞こえないのは、モロチン戦後生まれのせんせいだけなのでしょうか。

 はっきり言って、大部分の日本人は「どっちでもいいYO」だと思います。当たり前のように参拝していれば「ああ、そういうものか」と思うだけで。せんせい自身がバカだからって、みなさんまでまきこんでもいけないかも知れませんが、何ゆえ!総理大臣が参拝するのかということ、少なくともせんせいは「なるほどなー」という話聞いたことありません。

 戦争で亡くなった方々を弔うため、というのなら、なにも靖国に限ることはありません。沖縄にも広島にも長崎にも足を運ぶべきなのではないでしょうか。もちろん、韓国にも中国にも。「戦争で亡くなった方」というのなら「国」という枠など超えるはずです。

 靖国問題を中国や韓国は取り違えているというのなら、そうではないのだ!と理解してもらうために、中国や韓国の戦争犠牲者を弔う場所へ足を運ぶ努力くらいするべきではないでしょうか。ちょっとはした?ような話、韓国でのことでしたか、あったようななかった気がしますが、阻止されようが断られようが、断固やるべきことなはず。だって平和を祈念する、という意味合いもあるのでしょう?だったら、理解を求めるという意味も含めて、当然にとるべき行動じゃないですか。

 続いて、昭和天皇とはどんなひと?気になるその横顔について、こんな文章を見つけてきましたので、ここに。

 〜ホイットニー・ノート天皇見解の全訳〜

 「二、三週間前に占領が長く続くべきであるとの希望を述べた根拠を説明したい。

 日本人の心には未だ封建制の残滓が多く残っており、それを眼こそぎにするには長い時間がかかるだろうと感じている。

 日本人は全体として、自己の民主化に必要な教育に欠けており、さらに真の宗教心にも欠けており、そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすい。

 日本人の封建的特徴の一つは、進んで人に従おうとする性格にあり、
 日本人はアメリカ人のように自分で考える訓練を受けていない。
 徳川政権は、民は指導者に従うべきであり、そのため忠誠心以外はいかなる道理も与えられてはならない、という論理のうえに築かれていた。
 かくして、平均的な日本人は、自分で考えることにおいて昔からの障害に直面している。

 かなり闇雲に従うという本能によって、現在、日本人はアメリカ的な考えを受け容れようと熱心に努力しているが、例えば労働者の状況を見れば、彼らは自分本位に権利ばかりに注意を集中し、本分と義務について考えていない。

 この理由は、ある程度、長年の日本人の思考と態度における氏族性に求められる。
 日本人が藩に分割されていた時代は、完全には終っていない。
 平均的日本人は、自分の親戚はその利益を追求すべき友人とみなし、他の人間はその利益を考慮するに値しない敵と考えている。

 日本人の間には宗教心が欠如している。
 私は神道を宗教とは考えていない。それは儀式に過ぎず、合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。

 しかし、たいていの神道信者は超保守的で、彼らと神道と超国家主義を同一視していた復員兵とその他の者は、しっかりと結びつく傾向を持っているので依然として危険な面がある。

 政府は、信教の自由に関する命令を厳守する立場にあり、現在彼らを取り締まる手段を持っていないために、こうした状況は危険だ。
 神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要すると考えている。」
 (後略)

 http://www.asyura2.com/0505/war71/msg/430.html
 ホイットニー文書 昭和天皇の日本国民に対する見解全文 松浦

 http://plaza.rakuten.co.jp/worlddreams2005/diary/200506080001/
 ドイツ紙「生き続ける醜い日本」靖国問題 - 世界潮流 -

 こちらは日本が占領下にある時に、米軍の人に対してご自身の見解を示したもの。

 この見解には、全米の日本研究家たちもびっくりだったそうです。自国民に対する不信感の強さ、従米的であり、極めて自己保身的な見解と受け止められたようです。(後略以下、リンク元の全文参照のこと)

 せんせい的には、うむー、実に的を射ているなあ、その心配通りに今まで来ているなあ、うむー、と思ってしまいます。せんせいも不信感&自己保身的な人間なのでしょうか。その通りです。知っています。でもでもっ、今日起きている様々な問題、ニュースなどを見れば、まったくその通りだなー、うーむ、頷かざるを得ないなあー、むしろ今日のネオコン社会においてはその傾向がロコツに現れているなあー、と思いませんか?

 思わないのでしたら、まずは上半身はだかになってください。デジカメで写真を撮ります。もしもんくがおありなら、この写真をネットなどでばらまくかも知れません。いいんですか。あくまで治療の一環なのに、そんなにもんく仰るのなら、もうどうなっても知りません。

 ともかく、神道に関して、この見解を整理してみると、

 1.宗教とは考えていない。あくまで儀式にすぎない。

 2.神道信者は超保守的。超国家主義と同一視するものも少なくないため、危険である。

 3.政府は、神道を取り締まる手段を持っていない。2の状況を考えれば、こうした状況は危険である。

 3.神道信者は反米的だ。

 で、神道とはなんぞや、というと、

 ”神道(しんとう)とは、日本の民俗的な信仰体系であり、日本固有の多神教の宗教である。
 (中略)
 他宗教と比べて、現世主義的であり、性善説的であり、祀られるもの(神)と祀るもの(信奉者)との間の連体意識が強い、などといった特徴が見られる。”
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93 神道 - Wikipedia

 とのことですが、ここで言う神道とはいわゆる国家神道のことと思われますので、こちらの定義はあくまで神道の原則的な解釈としてご参照に。

 「しんとう」なんですね。「しんどう」かと思っていました。変換できないなあ、と思ったのは、せんせいがばかだからですか。そうですか。デジカメ使いますよ、いいんですか。

 国家神道を簡単に言うと、戦前の軍国主義国家下における民衆統制のための信仰のよりどころ、という感じでしょうか。わかりやすく言うと、国がみんなをまとめるために利用した宗教、ということでしょうか。国家神道はGHQによって廃止され、政教の分離がなされたとのことです。
 →「神道指令(しんとうしれい)1945年(昭和20年)12月15日通達」

 昭和天皇は「日本人が藩に分割されていた時代は、完全には終っていない。」との見解を示しておられますから、このことから考えるに、古いべたべたした感じは今でもあるしー、という見地から世の中をご覧になっていること窺い知ることが出来ると思います。

 超国家主義とはなに?というと、

 ”第二次世界大戦以前は国家の論理を否定し,国家を単位としないという意味で超国家な国際主義的,世界主義的な思想・運動をさした(略)
 絶体的唯一者への権力の集中を核とする民族,国家の統一・独立・発展を理想”
 http://www.tabiken.com/history/doc/M/M056R100.HTM 超国家主義

 という感じらしいです。あくまで以前の意味であり、今日の意味合いは違うそうです。

 将軍さまぁーみたいな集まり方を差しておられるのですかね、昭和天皇の仰る「終わっていない」時代とは。そうした流れを引き継ぐ形で国家神道というものが広まり、誰も止められない流れを生み出してしまった。

 今日でも、一宗教に政治は口出し出来ない、という話よく耳にしますから、神道の集まり方やその考え方、彼らのすることに関して、政治的な介入は出来ないということでしょう。昭和天皇は「取り締まる手段を持たない」ということをあげて、危険な状況だと憂慮しておられた。

 一宗教の集まりですからぁ、と言われれば、もんくのいいようもありませんよね、by信○町。しかしそれが「考える訓練を受けていない」妄信的な信者の集まりであり、絶対的唯一者への帰依を意味しており、かつその集まりが、「自分本位に権利ばかりに注意を集中」しているものであれば、場合によってはカルト認定されるべきものであり、政治といわず、なにがしかの介入がなければとんでもない事態を引き起こしかねない訳で、危険視するのも当然のことかと、、

 神道も創○もオウ○もなにもかもごっちゃにしてはいけませんよね。そんなつもりないのですけど、そうした集まりの「危険」を説明するためには、共通する部分はあろうかと思うのですが。とくに神道のひと、すみませぬ。べ、べつに一緒とかなんということじゃない、です、ほんと、だってよく知らないし。

 あまり話をビッゲストにしてもまとまりきらないことウケアイなので、今回発見された「富田氏メモ」と照らし合わせて考えることに絞ってみますと、

 1.昭和天皇は元々、神道(国家神道)の在り方を危険視していた。

 2.「今の宮司がどう考えたのか 易々と」合祀するのは「平和に強い考」があるとは思えない。

 3.「彼らと神道と超国家主義を同一視」するのは危険な面がある。

 4.昭和天皇は「あれ以来」参拝していない。

 2と3は、それぞれの文面から、参拝しなくなった理由としてあてはまりそうなものを、せんせいが抽出しました。なので意図的なんじゃないか、と思われても、ああそうですか、としか答えません。ふん。

 せんせい読み取るに、昭和天皇は『合祀自体をダメとは言っていない』のではないかと思うのですが、どうでしょう。

 どう考えたのか?安易に見えるけど、、宮司はもちろんその役割として保守的であるはずですから、「超保守的な信者」と見てもいいのかクエスチョンではありますが、3の「彼ら」が指すものは「たいていの神道信者は超保守的」と仰っている部分な訳で、保守的な役割を果たす宮司はその「彼ら」の中に入りうるもの、とせんせいは考えます。

 そして、戦前戦中の超国家主義とは「絶体的唯一者への権力の集中」を基盤とする訳でありまして、「彼らと神道と超国家主義を同一視」することとは、今回の合祀の在り方のよしあしになぞらえて言えば、『靖国神社にA級もB級もC級も区別することなく合祀することは、神道を超国家主義的な存在と定義するに等しいことなのだ』ということになると思うのですが、ややこしいですね。

 要するに、区別なく一切合財まとめてしまうのはどういう訳なのか?特に深い理由もなさそうだし、それって戦前の超国家みたいなノリでまとめちゃってるんじゃないの?とにもかくにもYASUKUNIみたいな。

 メモを拝見する限り「分詞すべき」とはひと言も仰っていません。極端に言えば、合祀でも「易々と」ではなく「慎重に対処」していたのなら、賛成もやぶさかでなかった、のではないかと読み取ることも、、、

 昭和天皇が憂慮しておられたのは、盲目的に追従的な全体主義ではないかと思います。誰も止められない流れ、誰も訳のわかっていない流れ。

 なんだか知らないけど、はい合祀、ということをされたんじゃ、自分(天皇)が参拝を続けたんじゃ、それに賛成したことになるし、なんだかなー。

 ふむふむ。せんせいもじろじろ見て考えているうちに、合祀=中止ではなく、合祀するという決定⇒賛成できないから中止、ということなのかなあ、と思うようになりました。靖国を中心とした神道による「終わっていない」流れの復権、、すこし大げさかもわかりませんが、戦争への時代の流れを目の当たりにし、従米的とも取られるくらいに自国を批判的に見ていた昭和天皇ですから、易々と合祀してしまうやり方に抵抗を感じるのは当然のことなのではないでしょうか。

 かくして実際に「易々と」であったのかどうかは、知りません。

 ともかく、どこかの新聞にも書いてありましたが「自主的に」靖国参拝の是非を考えるのによいきっかけとなるのではないか、と思いますので、せんせい的にはやっぱ、超ビッゲストニュース!なのではと思いますが、いかがでしょう。

 おしまい。あとは、あたまのいいひと、まとめてください。ま、どうせみなさん、せんせいよりおとるでしょうから、期待はしませんけどね、さよなら。
posted by ティーチング by ミヨコ at 02:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月14日

○○県○○町○○○殺害事件について

 X父の支配的欲求がY容疑者を動かしたのではないか。

 X君は後妻の連れ子。

 そのことはY容疑者も知らされていたのではないか。

 殺害についてX父の指示はないだろう。予想もしていなかったことだろう。

 Y容疑者は少女時代にかなりのいじめにあっていたらしい。その影響で、常に精神不安を抱えていたのではないか。

 自分自身の存在価値を見出せない、ココロのうつろさを抱えていたのでは。

 対してX父は支配的な人間。ある面から見ると「明確」な人間に見えるのでは。

 自分のココロに自信の持てないうつろな女が、よりどころとして明確な意思のある男に惹かれる。

 Y容疑者はX父を愛していた訳ではない。

 人間不信でもあったであろうY容疑者が、将来を共にする見込みのない相手を愛するとは思えない。

 男に支配されているような女を軽蔑していたのではないか。本当は誰かに愛されたい。けれど、叶うはずがないと冷めている。

 傷つかないように生きるために、Y容疑者は自分自身をココロの奥底に閉じ込めたのではないか。

 Zちゃん、X君、X父の実子、、の順でX父からは遠くなる。他人の子、後妻の連れ子、実の子、、X君まではX父の純血の範疇には入らない。純血という括りで見れば、X君までは失っても構わない。(X君兄まで)

 Y容疑者のささやかな反抗だったのではないか。

 意識的ではない。うつろな人間で支配されているという実感もない。むしろ、そういう人間を軽蔑視しているから、絶対に支配されているとは認められない。

 しかし、潜在的には支配からの脱却を望んでいた。いじめとは、その人の人格を否定し支配しコントロールすることでは?

 一方で、明確さをよりどころとし依存している。自分がうつろであるがゆえに、依存せざるを得ない。

 それをX父は知っている。

 物腰は柔らかいかも知れない。けれど、ほんの少しでも嫌疑をかけられれば、異常な反発を示すだろう。

 自己葛藤を徹底的に避けるヒステリックな性格。異常な支配欲。身辺を完璧に支配することで、自分の精神性の保とうとしているのでは。

 何事もなく時が過ぎていれば、いずれはZちゃんがX父の性欲の支配下に置かれたのではないか。

 うつろで依存せざるを得ないY容疑者に、娘を守る術はない。行くアテが何処にもなく、そこにしか居られないのなら、その場所のルールには逆らえない。

 Zちゃんも他にゆくところがない。仮に、家を飛び出そうと決意する時が来るとしても、恐らくはその前にX父に犯されてしまうだろう。

 片田舎で行われている、親娘への姦通。その罪に気付く者はいるだろうか?

 事件でも発生しない限り、誰も知る由はないだろう。

 ※フィクションです。
posted by ティーチング by ミヨコ at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 今日の授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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